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大事なことほど人の言うことを聞いてはいけない

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大事なことは自分で決める

重要な決断ほど誰かの意見を参考にしたくなる。先人たちのアドバイスを参考に意思決定をしたい。でもそれは大きな間違いだった。それが私がはじめてチームリーダーになって学んだこと。

私の職場は少し特殊で自然を相手にすることが多く、1つの判断ミスが仲間の死を招く。「金は出す、過程は問わない、結果だけ出せ。」そういう職場。察しの通り外資の企業だ。

日本でもビッグビジネスを個人に任せることで有名なR社に似ている。ちなみに弊社は失敗すればクビがすっ飛ぶというオプションがつく。

リーダーなりたての若造にはストレスのかかるジャッジだった。

自分以外の誰もが責任を持ってはくれない

信頼できる上司や同僚は真摯になって相談にのってくれる。そこから純粋な善意を感じ取れたし、本当に私の為を思って色々な話をしてくれたと思う。自身の成功体験や色々な視点からのアプローチ方法。

しかし最後言うセリフは決まってこうだ「決めるのはキミ自身だ」
彼らはこう言いたいのだ「責任は持たないよ」と。

それは無責任ではない。彼らが解決すべき問題ではないのだから。むしろその判断を彼らに依存しようとした私の方が愚かだった。

自分の利益と彼らの利益が一致していない。それ故に問題の捉え方、視点、温度感。すべてが私とは違うことを感じた。

どのような判断をしようとその責任のすべてが私にある。

人の意見を丸呑みし失敗したとき、その人を恨まない自信はあるのか

その自信がなかった。周りの意見を汲みとって失敗したとき、心の中であの人の意見を聞いたからだ、と責任転嫁を始めるだろう。

その時点で私はあまりリーダーには向かないタイプなのかもしれない。私が部下の立場だったと考えたとき、周りの意見に流される上司を信用できるかと言われればNOだ。

良い上司であろうとすることが、部下からみれば信用に値しない行為をしていたことに気づいたときだった。立場が変わると考えが変わる悪い例だ。

判断に必要な知識の最高峰は「経験」

意思決定には知識が必要だ。安易に問題を解決しようとするならまずはWEB検索だ。万物流転を司るGoogle先生に相談だ。ちょっとした調べ物なら解決することが多い。しかしそれは情報として価値があまりないものに限る。

例えばカメラの発売日などだ。主観的な要素が入る余地がない上にメーカーがプレスリリースを行っている。この類に情報は信用しても問題ない。

しかし「一眼レフ買うならニコンとキャノンのどっちがいい?」と調べれば情報のベースとなるのは決まって主観的意見だ。しかも誰が書いたものかも不明で、どの立場の人が誰に対しても言っているのかもわからない。とても信頼できる情報とはいえない。意思決定のインプットにすることはできない。

濃い内容の情報を得るためはWEBよりも書籍になる。金銭というのは責任であり信頼だ。それだけで少なくともWEBの情報よりは信用に値する。しかし書してあることを実践して失敗しても責任を取ってはくれない。

最終的に行き着いた判断材料は「経験」

万策尽き、最終的に私が今まで関わってきたプロジェクトの経験から判断するしか選択肢がなくなった。少なくとも経験した失敗ケースがもう一度起きたら上手く対応できる自信はある。

私の経験をベースにし、先人たちのアドバイスを情報の一部として組み込んだ。「こういうトラブルが上司のケースでは発生した。これを私ならどうするか?対応できるか否か」という具合だ。

客観的に揺るがない情報・知識はインプットする必要はある。しかしそれだけでは物事を判断することはできない。最終的に自信のある回答が出せる根拠となるのは自分の経験からだけだ。

事実と真実は異なる

先ほどの「一眼レフ買うならニコンとキャノンのどっちがいい?」という問題も「経験」というものを付け加えると少しだけ進展できる。

まずカメラのカタログスペックは信用できる。これは揺るぎない事実であり、誰が何をしようと変えることはできない。大いに意思決定の材料になる。

次の「どっちがいい?」というものが各々の経験に依存する。

  • 感情的にニコンが嫌いな人、キヤノンが嫌いな人
  • ニコンとキヤノンの両方を使ってみての比較
  • 特殊な使い方をした場合の故障率

揺るぎない事実に対しても主観と経験が入り交じることで「欠陥品」にも「最高傑作」にもなる。
しかしこれは各個人の経験からの真実だ。何も間違ってはいない。否定することもできない。

その意見を鵜呑みにして失敗したとしても責任を負わせるべきでもない。その意見を参考に意思決定をしようとしていること自体が間違っている。

「事実」だけでは判断できない。「真実」は人によって違うのでそのまま受け入れることはできない。最終的には自分の中にあるものから判断を下さなければならない。

正しい意思決定には多くの経験をすることが必要

判断を正しくするためには、必要な経験をたくさんしておくことだ。自分の周りで気になったことは試してみる。どのような結果になろうとそれが経験として糧になる。

何かを判断するとき、周りの人達は真摯だけれども責任は負ってはくれない。
アドバイスに対して依存するのは自由だが、それは自分の責任を相手に負わせる行為になる。

つまり大事なことほど人のいうことは聞いてはいけない。聞くことができない。

会社でもテレビを見ていても「どんな判断だよ!?」と突っ込みたくなることが多い。しかし彼らとしては自分の経験の中からの最適解を出しているはずだ。経験値からの勘・センスとも言い換えられる。

勘やセンスと言ったものは経験値から生み出させるもの。無意識のうちに自分の経験のなぞって成功のロジックを組み立てている。よく言われる刑事の勘というのもその類だ。

大事な意思決定は最終的に自分の中に培ったものに依存する。誤った判断をしないために私たちにできることはアンテナを多く張り、その時に備えて多くの経験をして備えることぐらいだ。

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